苦労して手に入れた良いものこそ手放す

甲斐です。

身体の記憶を消すことで拘束を除去できるのであれば、空間の記憶といいますか、場の記憶を消すことで浄化や、むすび、ラポールの構築が行えることになります。

本来、むすび、ラポールがある状態が自然で、それを記憶とそれに伴う情緒、情動が邪魔をしているだけですからね。

このように場の制約を消すことは、本人の身体の拘束を消すことと表裏一体でありますから、実は、場の制約を消せば身体の拘束も消えるし、身体の拘束を消せば場の制約も消え、主客の両側からのアプローチが可能となります。

さらに面白いのは天地の記憶を消すという方法がありまして、普段、人は地球のことも宇宙のことも考えず、目先を見て生活しているわけです。

目先に囚われた日常の中で、一瞬でも地球や宇宙のことを考えて、そこの思い込み、制限、制約を消すという作業をしますと、盲点、スコトーマが外れ、非常に意識のスケールが大きくなるという効果があります。

最近はこれを杖の素振りの型として、天地八方の記憶を消し、みずからの身体の拘束も消すという風に再構築して稽古としています。

稽古の中で気づいたのですが、拘束を消すという発想だと、拘束背柱、拘束腰体、拘束外腿といった、身体のコリ、固まり、拘束の中心的場所を攻めたくなるのですが、逆に身体意識を構築したい場所を消していくと、通しやすくなるというのがありました。

苦労して身につけた身体意識を消すなんてとんでもない!という思い込みですね、一般化すれば苦労して手に入れたものを一度手放すことでより良いものへ変われる、ということですね。