通貨発行権を手に入れたい『日本人だけが知らない戦争論』苫米地英人著レビュー

先日、久しぶりに苫米地博士の本を読みました

それがこの『日本人だけが知らない戦争論』です

政治・経済について、みなさんいろいろと意見はあると思うのですが、いろいろな見解を取り入れることは大事です

その際に、いわゆる抽象度の高い視点ですね、昔なら天下国家を論じる視点から、いろいろな意見を見ることが重要なんですよ

その一つの視座としても、この本の内容を理解しておくと良いと思います

通貨発行権は政府=国民が持つべき

甲斐は『戦争論』の内容に100%手放しで賛成というわけではないのですが、強く感じるものもあります

それは、通貨発行権は政府が持つべきだということです

一応政府は選挙によって選ばれた国民の代表なんですよね

それを政府のコントロールが効かないところに置き、一部の人間が独占することが、資本主義国家の常識、みたいになっちゃっているのは極めて大きな問題だと思います

通貨発行権が一部の人に握られていることが、様々な問題を引き起こしている

戦争論』では主に戦争を扱っていますが、通貨発行権が適切に扱われないことで、様々な問題を引き起こしていると思うんですよね

もちろん景気変動もそうで、お金をたくさん刷れば景気は良くなるし、少なくすれば景気は悪くなります

たとえば、今の日本って、ブラック企業とか過労死みたいな問題があるじゃないですか

あれは労働の供給過剰からきていると思っていて、供給過剰により、単位時間あたりの労働で得られる収入が減り、それでは生活できないからさらに労働を増やすという悪循環があると思うんですよね

その結果、穴を掘って埋める的な余計な仕事を多くの人がしているんですよね

そして、それが環境問題なんかにもつながってくると

で、その原因がどこにあるかというと、日本円の量が足りないからではないかなと思っています

なので、政府が通貨を自前で発行できるようになれば、こういった問題は解決するわけですよね

「一人を殺せば犯罪者、たくさん殺せば英雄」問題

戦争論』の冒頭で、平時に人を殺すのは悪いことで、戦争で殺すのは良いことになっている話が出てきます

この話、その後全然ふくらませてなくて、あのフリなんだったんだ?状態なんですよね笑

これって例の「暴力装置」の話なんですよ

自然状態ではすべての人間が暴力をもっているわけでしょう?

暴力を振るうのか、振るわないのかを決めるのは個人だったわけです

現代では、その暴力を国家に預けている(あるいは、奪われている)状態なんですね

国家の暴力装置が警察であり、軍隊であり、自衛隊、ということなのです

アメリカで銃規制反対の流れがあるのは、暴力を奪われたくないということなんです

FRBの金融支配も暴力を担保として成立していて、お金と暴力はセットで一元化していく流れがあると思います

近年、よく報道されていたアメリカの銃乱射事件も、国際金融資本が国民から暴力を奪うための工作かもしれませんよ

新しい時代の戦争には新しい形の大義名分をもった軍隊が現れる

戦争論』で面白かったところに、ニューモデル軍という考えがあります

昔の軍隊は貴族階級のものだったんですが、ある時期から市民が中心の軍隊に変わるんですね

それが軍隊のニューモデルなわけです

これが新時代の戦争には出てくるということですね

テロとの戦いに使われた民間軍事会社も現代のニューモデル軍ではないかと『戦争論』にありました

ひょっとするとISISなんかもSNSでリクルートしたりするニューモデル軍かもしれませんし、アメリカでテロ組織と認定されたANTIFAも現代のニューモデル軍かもしれません

戦争論』のロジックであれば、その裏には国際金融資本が暗躍しているのかもしれないですね

まとめ

とっちらかっていろいろ書きましたが、こういったいろいろな視点が出てくるのが『戦争論』の面白いところですね

この歴史観が絶対に正しいと言いたいわけではなくて、政治経済を考える上での基準となる視点ができるということなんですよ

基準ができると、いろいろな情報を振り回されずに得ていくことができます

というわけで『戦争論』を読んでみると良いかもです