甲斐です。
最近、言霊学について研究中ですが、先天構造、十七の言霊について少しおもしろいことがわかりました。
まず、八父韻チイキミシリヒニの解釈ですね。
最初のチイは時間ではないかと、チが時間の区切りの発生、変化であり、イは継続です。
時間的に物事を捉えることは変わるか変わらないかということを弁別するということなんですね。
キミは、気と身ですから、情報と物理、すなわち抽象度の考え方です。
シリは、運動です。
一点に向かう、ゴールに向かって収束していくシの運動性と、一点から拡散するリの運動性の二つがあると。
ヒニは、外側を表すヒと内側を表すニで、空間的な思考法ということになります。
一方母韻は、原初の運動ウから主客の感情アとワが生まれて、さらに経験知オヲと実践知エヱが出るのですが、これと八父韻の関係についてもおもしろいのです。
この対応については諸説あるのですが、オ→チイ、エ→キミ、ヱ→シリ、ヲ→ヒニと一応しておきます。
オヲは経験知、チイは時間、ヒニは空間ですから、学問で言えばオが歴史、ヲが自然科学を表しているということと全く対応してしまいます。
エヱは実践知を象徴していて、エの道徳がキミの抽象度の学問だとするのもなんだか納得いきますね。
先ほどの母韻と父韻の対応をヒチシキミリイニに変えても面白くて、歴史は外側の変化の学問、自然科学は内側の変わらないものを扱う学問、という解釈になります。
たしかに自然科学は不変の法則を追求するなぁという感じですね。
と、誰の役にも立たない話ですが、誰の役にも立たないゴールを設定するというのも大事ですよ。