罰を受けて煉獄を抜け出そう

甲斐です。

煉獄ってありますよね。

喧嘩商売の技の名前でもるろうに剣心の船の名前でもなく、カトリックの天国と地獄の間の世界です。

仏教というかバラモン教のホニャララ界もそうですが、これは心理状態とか、境地のようなものをあらわしていると思うと良いのかなと思います。

そう捉え直すと、この煉獄という概念もかなり示唆的だなぁと感じるわけです。

煉獄の場合、良くも悪くもない状態だけれども、良くも悪くもなれない、囚われた状態と言えるわけですね。

コーチングの論理を使えば、コンフォートゾーンこそが煉獄です。

人間がこの世に生きていることが、煉獄と言っても良いかも知れません。

で、カトリックの論理ですと、煉獄で罰を受けて浄化されると天国に行けるらしいんですね。

これも、マイナスの出来事がコンフォートゾーンの外側に連れ出すと考えると納得がいくものです。

人間、生きていると、予想もつかない嫌なことが突然起こったりするわけですが、まさにその時こそ現状の外側に出ているわけですから、自分を変えるチャンスなんですね。

煉獄から天国へ行く扉が開かれたわけですね。

まぁその天国が新たな煉獄になっているわけですけれども。