甲斐です。
この間、沖縄で一つ掴んできたこととして、芸術の純粋なところというか、本質というか、そういった話がありました。
言霊で言えばアの世界の悟りです。
表現としては技があって、型があって、職人的にどこまでも追究できる部分があって、その価値を否定するものではないのだけれども、純粋な芸術はそういった技ではないなと思うわけですね。
それは子供が絵を描くが如しであるということですね。
そこを芸術の本質と定義するならば、芸術の本質とは共感覚なんですよ。
音が光に見える、字に色がついて見えるといった具合に、感覚が別の感覚と混線する現象が共感覚です。
これが無意識の世界、あるいは身体意識の世界と言っても良いかも知れないのですが、そちらの感覚世界と混線した結果が純粋な芸術として現れるのだなと、こう感得したわけです。
技の世界を追求すると、技の世界の記号操作に閉じたものになってしまうわけですね。
それを外に解放する、他の感覚世界に解放しなければ芸術たり得ないのではないかなと思ったわけですね。