正しさは楽しさに勝てない

甲斐です。

何かをする上で、正しいことというのがあると思います。

スポーツのフォームであるとか、ビジネススキームもそうですし、将棋を指すなら定跡とか、作曲するなら音楽理論とか、いろいろありますよね。

セオリー、と言ったほうが良いかもしれません。

セオリー通りに行えばそれなりに上手くいくわけですが、初心者ほどセオリーから外れてしまうということがあります。

上級者は正しく、初心者が間違う、という当然の話です。

で、この間違い、あるいは正しくないということを認識しておくというのは、いわゆる正統派として上達していくために大事な事ですが、何が何でも正しくないといけないと張り切るのも少し問題があるんですね。

一つには、間違うことで覚えるということです。

一通りの間違いをこなして、修正していくという過程を経た人の方がそこで得た正しいことを身につけているということですね。

スポーツ選手で、うまく行き過ぎている天才が、どこかでつまずいたときにスランプが長かったり、伸び悩んで潰れてしまったりということがあるのは、そういうことではないかなと思います。

もう一つは、正しさにこだわるあまり、楽しくなくなってしまうことがあるということですね。

正しくあろうとすることで、失敗を過剰に恐れたり、後悔してしまったりということですね。

楽しさがなくなると行動の量が減ってしまいます。

そして、意志力が落ちてしまうので、実は質もあんまり高くならないんですね。

すると結果的に、楽しさ中心でやる人の方が正しさも身に付けてしまうということがあるわけです。

さらに重要なのは、正しさを求めすぎてしまうと、現状の内側にとどまってしまうということです。

本当にクリエイティブな事柄は、正しさの中から生まれるわけではないということですね。