西洋音楽と言語による介入

甲斐です。

このところ18世紀の西洋音楽理論を勉強しているのですが、西洋の古典音楽の世界もまさに言語層から物理層へのアプローチであるなと感じましたね。

作曲家が曲を書くという行為は、楽譜という形での言語化なんですね。

演奏家はその楽譜言語を元に演奏表現をイメージし、感情層・感覚層に落とし、さらに物理層で実際の演奏をするわけです。

そういう意味ではロックミュージックは抽象度が低くなりがちなのかも知れないというのはありますが、言語以上の抽象度でやれるアーティストもおそらく存在しているわけです。

ということは、構図はこうですね。

  • 天才はいずれにせよ言語層以上の抽象度から音楽をやる。
  • 非天才を秀才にする方法は、古典音楽の世界にはある。

通常のコーチングの場合、基本的には言語層からのアプローチになりますが、KAIの場合は、言語より上の層にアプローチする方法論もいくつかあるので、天才を作るところも必要に応じてやっていきたいというのはありますね。