我々は自由を求める虜囚である

甲斐です。

人間の認識能力は、いくつかの雛形をあらゆるものに投影していくという構造になっています。

身体意識が心理面と身体面の両面に影響するのもそうですが、それだけではありません。

例えば、自由を求める虜囚の物語という構造ですね。

これは、会社や学校などのルールに縛られている状態から、権力を得るなり卒業するなりなんなりして自由を獲得しようとする話でもあります。

社会に存在する有形無形のルールに縛られていることにすら気がつかない人もいて、気がついて自由になろうとする話でもありますね。

コーチングがらみで言えば、スコトーマの話にもなりますね。

人間は価値があるものしか見えない。しかし、何に価値を置くかということは自分ではどうしようもないような状態にだいたいなっている、ここから自由になろうというのが我々のコーチングの基本です。

運動科学で言えば、スティフルクラムにとらわれた人間がそれに気がつき、努力をしてフリーになるという話になります。

でもって、自由な宇宙の中の地球という半ば閉じられたシステムも同じ物語でしょう。

ほとんどの地球上の存在は地球にとらわれているわけですね。

ミクロに見れば、分子、原子などもエネルギーが物質化するというとらわれです。

この宇宙も多次元宇宙からみるととらわれですね。

共通の物語として、とらわれていることに気がつかない、とらわれているのが当たり前、ということがあります。

そして、そこに気がつくためには、何か外的な刺激、情報、エネルギーが必要なんですね。

コーチの存在価値というのはそこなんですね。